人間の三大欲求。「睡眠欲」「食欲」「性欲」つまり、ネル・タベル・ヤルである。
私の場合「食べる」「食べたい」が圧勝なのだったーーということに気づいたのは奇しくもコロナでお外に出れなくなった為であった。
今痩せないと、死ぬまでデブだ。
この悟りに至った瞬間、わたしは驚愕した。
この言葉が自分の口からこぼれた瞬間、私は身震いした。
今53歳だから、平均的に考えたらあと30年くらいあるだろう。病気になって痩せこけない限り、わたしは死ぬまでデブだ。
さすがの私もこれには辟易した。
自分で招いた結果とはいえ、中年デブ子は、老年デブお婆となっていく事実はもはや避けて通れない地点まで来てしまったのだと痛感。
53歳にもなっていながら、心のどこかで「そのうち元に戻るだろう」とか、「そのうち少しずつ痩せていく」という幻想を抱き続けていた。
どうしてなのか?
それを自分で解明する必要があった。
食べたい気持ちを他人から抑え込まれた
食べ物の恨みは怖い。
死ぬまでデブにならないと決めたからには、自分の欲望の果てを顧みることにした。
なぜ食べたい気持ちを抑えきれなくなったのか
心理的に一言で片付けてしまうと、「食べもの」と「母親」は密接な関係がある。
母親への恋しさは、赤ちゃんのとき母乳で愛と胃を満たした記憶が蘇生し、食べることで寂しさを埋めようとする。
自分が抱えきれないストレスの負荷がかかると、食べ物でストレス解消しようとするのが私のパターン。
つまり食べている間は満たされていた記憶と繋がるので、ストレスが軽減されて安心するのだ。
コロナで一気に鬼太りしたのは、ここにも理由があることが判明した。
53歳にもなって母親への恋しさを食べることで紛らわすなんて・・
自分自身が正真正銘のおばさんになっているにも関わらず、この図式は太々しく続行中なのだ。
それに気づき、その恋しさを認めてあげた。
ここで書くとアッという間の出来事のように思えるが、この気づきに至るまで私は53年間という月日を要した。
しかし、デブのまま死ぬ確率は減った。
図式というのは、こういうことだ。
食べたい:不安やストレスがあると安心や満足を得るために食べる。食べることで安心し、ストレスを軽減する。
痩せたい:痩せたら幸せになる。という自己催眠をかけていた。母親の理想とする体型になることが、幸せである、という子供の頭で捻り出した理論。
だから食べたいけど痩せたいが、永遠にわたしのなかで交錯する。
欲望の果てにあったもの
わたしが見出したのは、この自分のなかにある痩せたいけど食べたいを全否定している限り、この負の呪縛からは解放されないということだ。
だから、どちらもOKにしてあげることにした。
どちらかだけを選択しなければいけない、このストレスを解放してあげた。
そうしたら、なんだか不思議だけどポジティブなあきらめとでも言うのかな?
仕方ない、ではない積極的な白旗マーチング。
この矛盾を抱えててもいいよって自分に言ってあげたこと。
それが、手に追えないと思っていた食欲に対して健康的に向き合うことができるようになってきたのである。
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