わたしがダイエットしなければならぬ人間であると自覚させられたのは、小6のとき。足の怪我で1ヶ月歩くこともできず、入院しなければならなかった時以来である。
思春期はダイエットから始まった
12歳といえば、思春期がちょうど始まる頃で私も子供から大人の女性へ変化が激しい頃だった。
そんな多感なお年頃で入院せねばならぬ事態となった。しかも、最初の2週間は移動は車椅子のみ。
思春期=デブになる時期 である。
その一番大切な時期に、わたしはデブ一直線の道を辿った。
歩けないけど、食欲は変わらない
入院生活、車椅子、何もかもが新しく不安で怖かった。そして、歩けない。自分でトイレにもいけないというのは12歳の乙女には残酷だ。
この不安と動けないことへのストレスもあって、私はよく食べた。病院の食事は美味しいとは言い難かったが、ふりかけだの佃煮だの白いご飯のおかずになるようなものを持ってきてもらっていた。
今、覚えているのは毎食どんぶり飯一杯いっぱい食べていたーーということ。
お見舞いに来てくれた人たちからの差し入れ、ケーキやせんべい、たぶん母親は私がデブ化するのを見据えていたのだろう。彼女は差し入れをほとんど持ってきてくれなかった。
娘の体型を気遣う母親の気持ちなど、子供だった私には理解できず、母親に世話されていないネグレクトされているように感じて卑屈になったりしていた。
それがさらに大盛りご飯を食べることに火をつけた。
松葉杖で支える我が身の重みを感じた瞬間
退院する数週間前から松葉杖をつくようになった。自分のことを鏡で見るなんて色気もついてなかったので、鏡に映った自分を見たのは1人で用足しにいけるようになってからだ。
そして我が身を見た。
あれ?なんか大きくなってるかな? と。
でもここでの生活は基本、パジャマで1日を過ごす。院内を動くのもパジャマにカーディガンだったら自分の姿なんて気にすることもなかったし、あの時の小さな気づきは言わずもがな忘却の彼方へ埋葬された。
退院後しばらくの間、学校へ松葉杖をついて登校することになった。気づいたのは、重いこと、重いこと。腕が疲れる。
さすがの私も気づいた。太ったのかもしれない。
初めてのダイエットは「鈴木その子」式
同世代の方は覚えていると思う。鈴木その子先生が一世を風靡することになった「おにぎり」と「おはぎ」のような炭水化物を摂って痩せていくダイエット方式。
中学に入った私は運動部に所属した。ただし、その頃から自分は「背は高くないのにやや固太りの」子として自覚し始めた。
中学生はみんな太る。痩せていた子だって、生理が始まり、体型が少女から女性になっていく段階で丸みを帯びていく。
私の場合、その大人の女への成長は入院前から始まっていたのでデブ化も倍速で早まった。
そこで当時もてはやされていた「鈴木その子」式ダイエットを実践するよう母に勧められ、人生初のダイエットがスタートした。
結果は・・・。デブ子に片足突っ込んでる状態
あの方式は、間食としておにぎりやおはぎなどを食べて良いのが唯一の救い
であった。
実際には、じゃあ、朝と夜ごはんを制限していたのかといえば、あまり覚えがない。でも思うに、食卓には冷奴や野菜が多く登場していたように思える。
でもティーンエイジャーはいつでも腹が減っているもんなので、食事制限というよりは、運動量をかなりあげていたのだと思う。
10代だったし、エネルギー燃焼率も高かったであろうから、ダイエットはぼちぼちの結果をだした。
入院中に顔がパンパンに(冗談じゃなく、あんぱんマンと同じくらいだったはず)なっていたのが、少しほっそりした。(証拠写真はなし)
でも運動部で動いていた分、脂肪の上に筋肉がついてしまった。そして本来わたしのタイプはぷにょぷにょではなく、ガチガチ系だったので「どこをつついても丸いけど指で掴めない」カッターい体になっていた。
その子先生〜!
憧れの細い肩、はかなげな横顔、折れそうな体・・・漫画とは違う現実
運動するちょいデブ子。
固太りのたくましいティーンエイジャー。
私に作られた自己イメージは史上最悪となっていく。